超芸術トマソン

街中で発見した超芸術トマソンをアーカイブしています(現在掲載件数:約400件)

東京都世田谷区代沢5丁目(2016年2月)

【分類】無用門

区立代沢小学校、北沢川緑道沿いにある無用門。門はあれども、出入り不能

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よく見てみると、何やらプレートがあります。f:id:wjazvol2:20200129220007j:image
坂口安吾顕彰碑

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坂口安吾らしい言葉です。

坂口安吾は、ここ代沢小学校で代用教員を務めていたことがあるのだそうです。

 

世田谷新聞

http://setagayanp.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=70681914

 

世田谷区HP

https://www.city.setagaya.lg.jp/kitazawa/001/001/005/d00037757.html

 

世田谷区による解説(以前HPに掲載されていたもの)
坂口安吾は、大正14年から1年間、荏原尋常高等小学校(現若林小)の下北沢分教場(現代沢小)の代用教員を勤めた。しばらく分教場の近くに住んだが、わけあって、代田橋へ住まいを移す。代田橋の住まいから、まだ小田急線や井の頭線が走る前の、竹やぶや田んぼや麦畑が続く広々とした原野の中を分教場へ向かうと、途中だんだん連れの子どもたちが増えてくる。現在の東大原小学校の正門の前の道を通り、鎌倉通りとの四辻を抜けて行く小1時間ほどの通勤であったろうか。5年生のあまりできの良くない子どもたちに「あんこ先生」と呼ばれ、麦畑をわたる風と光の香気の中で20歳の安吾歓喜を感じて教員生活を過ごしたようだ。作家を目指す安吾は、代用教員を1年でやめて、大学進学への道を歩き出す。

代沢小学校の南側、北沢川緑道に向かって「坂口安吾文学碑」が建っている。文学碑に刻まれた「人間の尊さは自分を苦しめるところにある」は、安吾が代用教員を勤めたときのことを背景として書かれた「風と光と二十の私と」の中で「どう生きるべきかを」自分に問いかけ考え抜いた末の答えからとられたものだそうだ。

碑の煉瓦製の一対の門柱は、安吾昭和5年から母親や兄と暮らした「蒲田の家」から移転された。

この文学碑は、平成19年11月に「北沢川文化遺産保存の会」から寄贈された。