【番外編】石柱
大正十三年一月(大正13年1月)
清水坂(しみずざか)
『江戸時代、このあたりに、名僧で名高い大超和尚の開いた霊山寺があった。明暦3年(1657)江戸の町の大半を焼きつくす大火がおこり、この名刹も焼失し、浅草へ移転した。
この霊山寺の敷地は、妻恋坂から神田神社(神田明神)にかかる広大なものであった。嘉永6年(1853)の「江戸切絵図」を見ると、その敷地跡のうち、西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。明治になってその敷地は清水精機会社の所有となった。
大正時代に入って、湯島天満宮とお茶の水の間の往き来が不便であったため、清水精機会社が一部土地を町に提供し、坂道を整備した。
そこで、町の人が、清水家の徳をたたえて、「清水坂」と名づけ、坂下に清水坂の石柱を建てた。』
ー郷土愛をはぐくむ文化財ー 文京区教育委員会 平成14年3月
この石柱、佇まいが何とも味わい深い…
3年後はちょうど100年、また訪ねてみよう。
かなりの急坂です。
坂学会のHP
http://www.sakagakkai.org/profile/bunkyo/simizuzaka.html